『マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻』
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ISBN:4860114450
人類は大きく二つに分かれる。本に書き込みをする者と、しない者に──。
書物界の魔人が世にあふれる“人と本との接触の痕跡=マルジナリア"を追う。余白の書き込みを見つけては考え、知る、新しい本の愉しみ。著名人から無名の筆遣い、プログラミングのコメントまで。読みやすいものから判読不明なものまで。広くて深いマルジナリアの大地を一緒に歩いてみませんか。
カラー口絵には石井桃子、夏目漱石、高野長英、和辻哲郎、山本貴光の筆跡を収録。「本の雑誌」の人気連載書籍化第1弾。
はじめに——余白に咲く花の名は
マルジナリア——どこかで聴いたことのあるような、ないような。懐かしいような、そうでもないような。マルジナリアってなんだろう。そこでつかまえてっていうくらいだから、どこかの土地の名前かな。いや、花の名前じゃなかったかな。その花が一面に咲いている野原とか。たしかそんな名前の王国がなかったっけ……。
もしそう思ったとしても不思議はありません。日常でよく目や耳にする言葉というわけでもないだけに。
マルジナリアとは、土地でこそないものの、ある場所に関わりがあります。それはどこかといえば、ページの上。いまご覧のこの本もそうですが、天地左右に余白がありますね。余白のことを英語で「マージン」といいます。ほら、だんだんと見えてきましたか。その余マージン白は、ときとしてノートのように使われることもあります。そう、マルジナリアとは、そんなふうにして本の余白に書き込まれたものを指すのでした。
そのつもりで探してみると、あちこちでいろいろなマルジナリアが見つかります。どれも、いつかどこかで誰かがある本に書き込みをしたものです。これはなんだかちょっと面白いことのように思うのです。
普通、読書の痕跡はほとんど残りません。誰かがかたとき本を開いて読む。読むあいだ、知らなかったことを教えられたり、なにかを連想したり、考えが浮かんだり、泣いたり笑ったりドキドキしたりと、その人の心や体になにかが起きて気持ちや記憶も変化します。他方で本のほうはといえば、せいぜい指紋がついたりページがよれたりするくらいのもの。読書とはそういうことであり、もちろんそれでよいわけです。
でももし、その人が読みながら思い浮かんだことを余白に書いたらどうなるか。その書き込みは、本があり続ける限りその本とともに残ります。そして後に、それを当人が見直すこともあれば、誰かの目に触れてものを考えさせたりもすることにもなります。例えば一七世紀の数学者、フェルマーが古い数学書の余白に書いた思わせぶりな言葉は、二〇世紀末に解決されるまで、じつに三〇〇年以上にわたってどれだけの人が振り回されたか、というたいそう人騒がせなものでした(詳しくは本編でお話しします)。
仮に、本がつくられた状態を第一形態とすれば、マルジナリアを施された状態は第二形態とでも言いましょうか。第一形態の本は、たくさん印刷された同じものでもあります。第二形態の本は、二冊と同じものはなく、大袈裟でもなんでもなしに、世界でただ一冊の本でもあるのです。この第二形態の本、つまりマルジナリアを施された本は、第一形態の本とはまた違う出来事を引き起こすわけでした。
本書は、そんなマルジナリアの面白さをご一緒に眺めてみようという趣向で書かれたものです。マルジナリアでなにがつかまるのかは、見ての読んでのお楽しみ。それではさっそく参りましょう。